大学時代、プチ家出をしてよかったこと。
あれはもう2年前の話で、22歳。
家出を決意した。
概要は下記の通り。
■時期:
大学生活が終わろうとしている1月のこと。
ちょうど卒業論文を提出し、もう大学には行かなくてよくなった頃。
■期間:
1か月半あまり
■行くあて:
当時の彼氏の家
■持ち物:
スーツケース1つ。中身は下着と服と靴
■親の属性:
超過保護タイプ。
門限が厳しくて、24時を過ぎたら家を入れてもらえないのは日常茶飯事。
誤っても泣いても玄関から先のリビングには入れてもらえない。
親の機嫌が悪いときは寒い夜に外でひとりぼっち、ということもあった。
■理由:
門限を破って外に出されたときに、
「大学に行かなくていい今、私が家にいる意味があるのだろうか」
「いい子じゃなくちゃいけない意味はないんじゃないか」
と思ったことから。
確かに、自分の都合で彼氏とはいえ人に迷惑をかけるのはものすごく躊躇した。
それでも、もう縛られるのが限界だったから。
今思うと、とってもいい経験だったので、そこで気づいたことをまとめようと思う。
急に生きやすくなった
家出する前は、親の目が近すぎて、顔色ばかりうかがっていた。
「怒られること」が何よりも怖かった。
親の意に反した行動をすることは、胃がきりきりするくらい不安だった。
でも、「家出」という親の意に反した行動を貫いたことで、なんだか呪縛から解かれたような気がした。
あ、1人でも立っていられるんだ、って。
今思えば、共依存だったんだと思う。
親がいないと生きていけないと思い込んで、
だから親の思う通りにしないといけない
ということに縛られていた。
親も私にそう思わせていたし、高校時代までは素直に従っていた。
でもそれじゃ自分の人生だっていう実感がない、と気づいた。
親との適切な距離感を知れた
いい意味で、親という存在を「他人」と見ることができた。
「他人」としての親は、
もう自分の人生を左右する人ではない。
でも、「他人」として気を遣わないといけない。
私が友達や彼氏に接するように、相手の気持ちを尊重すべき人だ。
と、思うようになった。
「反抗期」は、反抗してるんじゃなくて、ただそんな自分でも受け入れてくれる、と甘えているだけ。
親をある種「他人」として礼儀を持って接せるようになることが、本当の「親離れ」なんだろう。
別に尊敬しなくていい。
「産んでくれたから」といって何か引け目のような恩義を感じなくてもいい。
家出をしたことで、親が自分や周りの友人と同じ人間である、ということに気づけたことが大きかった。
親との距離感に悩む人は多いと思う。
「いい子」でなくてもいい。
親の存在を自分の人生と引き換えに重く考える必要もない。
誰のものでもない自分の人生を思う存分に楽しんでいきたい。