バチェラー・ジャパンから見るジェンダーの話
2017年2月から続いているバチェラージャパンが、シーズン3の製作を決定したらしい。
ハイスペック(イケメン・学歴良し・年収良し)の男性1人を20名程度の女性が取り合って、最後の1人を決める、という内容。
現在(2018年9月)募集要項が公開され、注目が集まっている。
けれどシーズン2を見ていて、個人的に気になったところがある。
男性、という性別の大変さ
この話は、ハイスペックな男性と、乱闘を繰り広げる女性だから成り立つけれど、もしハイスペックな女性と乱闘を繰り広げる男性だと番組だったら、大混乱だろうなぁ、ということ。
それは、女性の場合で言う「(男性にとっての)ハイスペック」は頭の良さ・収入がいい、だけではないから。
・容姿が良くないとつけない職業(モデルやCAなど)
・優しそうな雰囲気のある職業(歯科衛生士とか保育士)など
女性は頭がよくなくてもいい、という話は「女性差別だ!」と言われるけれど、裏を返せば女性に対する世の中の評価軸は多様だと思う。
一方、男性でいうハイスペックとは「高収入」「高学歴」「高顔面偏差値」に限られる気がする。
そこにスポットが当てられ、美女が集まる人を当たり前のように受け止め、もてはやす私たち視聴者は、「ハイスペックでない層」を無自覚に生きづらくさせてしまっているのではないかなーと。
高収入でなければ、頭が良くなくては、イケメンでないと、女性に近づいてもらえないという世の中の前提を当たり前のようにもとにした番組であると感じた。
この人ほんとに結婚する気があるのか?
さらに何話か見たあとに考えたのが、このハイスペックメンからすると、自分の中身よりも容姿や条件に対して結婚相手を名乗り出る女性についてどう思うのか、ということ。
きっとこのハイスペックな男性はこの20名の女性の中で「自分を理解してくれる人」を探すのだろうけども、
「好きになったきっかけ」が「自分の年収や容姿に魅力を感じた」人だけの中から「自分の本質を理解してくれる」人を見出すのは困難ではないかな、と思った。
社会人の恋愛ってそんなものなのかもしれないけれど。
上辺の面白さよりもその裏を考えてしまって、なんだかなあ、、と思ってしまった。